新型コロナウィルスについて思うこと

新型コロナの話が出る以前は、

ぼくは
毎年冬になると風邪をひくことが多いし
皆さんも同じだと思うが、
心配なら近くの町医者にかかっていた。


高熱が出れば、そして
流行シーズンだとなおさらインフルエンザが疑われる。

シーズン前にワクチンを打っていても
安心はできず

違う型のウィルスにかかれば
打ったワクチンが効かないことは知られている。

綿棒で鼻の奥をつつかれて検査をされて
陰性が出ればひと安心だ。


ぼくはインフルエンザの診断をされたことがなくて
そういう薬は処方されたことは今まで一度もなかった。

以前、
ベランダから発作的に突然、飛び降りて亡くなる人が多く出て
タミフルの副作用との関連がニュースで取りざたされたことが
ありましたね。

 

普通の風邪薬でも、ぼくは副作用で吐き気が出たりする方なので
あまり慣れない薬は飲みたくない。


タミフルなどの特効薬がまだなかった頃は、
インフルエンザを疑われれば、
栄養をとって絶対安静をして自らの免疫力で治すしかなかった。


そして
風邪症状の原因が、細菌であっても、ウィルスであっても、新型であろうとなかろうと
治すのは、抗生剤でもどんな薬でもなくて
最終的には自らの免疫力が必要であり今も変わらないと
ぼくはそのように心得ている。


しかし
猛毒性のウィルスで、感染後の致死率がものすごく高いのであれば
SF映画のように人類を救うべく感染拡大の絶対阻止や隔離の覚悟は
必須になるのだろう。


はたして今回の新型は、どうなのだろうか。

持病のある方や、高齢者が重篤化しやすく、死亡率が高いと言われているが
それは普通の季節性インフルエンザでも同じだろう。

そして発症率や、致死率にも大差ないのであれば、

まるで
放射能汚染の防護服のようないでたちや、
社会正義よろしく緊急事態宣言だの、パンデミックアウトブレイク、ロックダウンだのの、
キャッチーな報道や

武漢の人々他、パニック化している状況の場面場面を撮影して
切り取った画像などを発信しては、またまた人々の怖れを煽る様なやり方は、
やり過ぎではないのだろうか。


医療崩壊を招く急激な感染拡大を阻止する為に今が大切なのだ、というが

人が集まることや感染症をうつされることに敏感になった世間は、
身近なクリニックも他の場所と同様かそれ以上に避けるので、

シーズン中の例年、数が多くなるはずの診療数が激減して経営難になる町医者は少なくないはずで、
診療数の急減による身近な場所での医療崩壊が逆に起きるのではないかとさえ思ってしまう。


世界は、自国の保護主義や、目先の利益ばかりを求めて近視眼的になっている流れがあったが
今回のコロナ騒ぎはこの流れを加速させる結果になっている。

 

世界は、いずれは大恐慌を経て現在のお金の仕組みをデフォルトさせて
新しい仕組みを作っていくことになり

また世界は、
人々の直接の人との交流から、Web上のオンライン交流や
AIの支配や管理社会へと流れているが、


今回のコロナ騒ぎはこれらの流れを加速させている。

武漢発の新型ウィルス情報は、感染拡大阻止を合言葉にして
全世界をあっという間に同じ方向に向かわせている。

 

ぼくは
陰謀論とかは信じているわけではないけれど

結果的にこうした情報ひとつにより世界の流れが作られているところをみると
果たしてこれらの影の支配者はいるのだろうかと想像したくなる。

 

ドライブスルーでの、韓国でのウィルス検査体制の充実が日本と比べて進んでいるように
マスコミでは紹介されているが、

あれほどの厳戒な完全防御服で身を固めながらの綿棒での検体採取も、
服を着替えずに検査し続けているならば、

その防護服の外側についたウィルスが伝播して次の非検査者に感染するリスクは高いままであることを考えれば、
あの仰仰しい防護服も一つのパフォーマンスのように思えてくる。

 


日本は2011年に、東日本大震災で大津波を経験し、巨大防波堤による
防災ではなくて減災も大事であることを学んだ。

同じ事がこの新型ウィルスに対しても言えるように思う。


そして
過去の人類と感染症の戦いの歴史をみると、天然痘の撲滅のような
完全勝利はなく、
こんどの新型コロナもいずれは例年の通常のインフルエンザになっていくことが
推察されるという。


この新型コロナ感染阻止のみに完璧を求めて
人の集まりや動きが制限し

結果的に経済縮小と

それによるたとえば自殺者が例年よりも

もし激増したならば本末転倒です。

 

さて、

ピーエルリッチサロンは、通常通りやっております。
サロン入室時は、必ず石鹸で手をよく洗うようにお願いしています。